elnath-geek’s diary

情報系の大学院生を卒業して社会人です。気が向いたことを対外発信する場所として使っていきます。

文章強度・思考強度という概念を広めたい

世の中には答えがない問題がたくさん(ほとんど?で)あり、身近な例でいえば「どこに就職すべきか」であったり、「ChatGPTは人間の仕事を奪うのか」といったものがあると思います。

そのほかにも、「会社・プロジェクトの開発方針をどうするか」であったり、「対人関係をうまくマネジメントするにはどうしたらいいか」など、考えるほどに深みが増していくようなことはたくさんあり、私はこうした少し哲学的な考えを人と話すことが好きです。

そして、友達とこういった議論をしていく中で、自分の中で「主張の強度」のようなものを考えるきっかけがあったため、自身の考えを整理しつつ、今回の記事を書くに至りました。

そして、私が考える思考強度の変遷と、段階別の内容の目安についてまとめたのが以下の図となります。

文章・思考強度の区分と内容の目安

提案する思考強度と変遷は5段階ですが、強度1の考えは強度2という変化状態を経て、強度3となり、強度4という中間状態を経て強度5となる、という関係図にあります。

 

さて、各段階の思考の強度がどのようのものなのか考えていきましょう。

まず、強度1:思い付き ですが、これは個人の(継続的な)主張ともいえない、何か情報を見たときに個人の脳内で思いつく条件反射のようなものだと考えています。

こういった条件反射的な思い付きは、興味深い考えのもとではありますが、最初の思い付きがそのまま素晴らしいものであることは、なかなかありません。

そして、強度1:思い付きの思い付きと、強度3:個人の主張 を区別するのが、強度2:共有・会話だと考えています。

 

まず前提として本文章において私が議論するものは、「正解がない問いへの考え方」であり、こうした課題への取り組みは、正解がない以上、最善だと思われる内容を緻密に考えるということが正しいと考えています。

そのため、自分の中で繰り返し主張を吟味したり、知人とアイデアについて話すことが、個人の主張を洗練されることにつながるため、強度1:思い付き の次のステップとして、それを洗練させている状態である、強度2:共有・会話を定義しました。

ちなみに自分の修士学生期間では、論文のテーマ探しという形で、この強度1と強度2の間を高速反復横跳びしてました(笑)。

思い付きというは大概にして、他人との簡単な議論にも耐えられる強度がないことが明らかになる(すぐに論破・反例が見つかる)ものです。

 

そこで、少数の知人との話し合いや内省を経て、少しもしくは大きく変化しつつも、自己の中で確立された考えを強度3とします。

この強度まで来た考え方というのは、少なくとも自分の中では首尾一貫した論理があるもので、他人にある程度の影響を与える、一つのものの見方であるというイメージです。一方で気を付けないといけないことは、この強度3の考え方は首尾一貫はしているものの、その主張の正しさは全く保証されていないという点です。

もう少し正確に書くと、強度3:個人の主張は各々の正義や経験の上に作られた考えであり、その各自の主張が社会的通念に則っているか、アドバイスを受けた自分の状況においても正しいか、などに関しては議論の余地があり、それを議論する場として、強度4の存在が必要だと思われます。

 

ちなみに少し脱線すると、強度3のうかつな否定は、いらぬ争いのもとになると自分は考えていて、というのも簡単に相手の人格の否定につながるからです。

「私は〇〇という状況で✖✖して成功した」

これは相手の中ではある程度の強度を持った事実であることが多いです。

ただ厄介なのは、多くの人が

「私は✖✖して成功した」

など背景情報を無視して語ることが多く、その時に

「俺は(△△な状況で)■■したらうまくいって、✖✖は逆効果だった!」

などの話をし始めると、両者とも筋の通った主張の元、前提が違うので無駄な議論をしてしまう。さらにお互いが事実を語っているがため、主張を曲げず言い争いが起き、「相手が間違っている!」という熱のこもった言い争いにつながる可能性が十分にあります。

なので、相手が強度3相当の主張をしているな、と感じたときは、その状況まで含めて議論するのが大事です。

 

さて強度4では、前段で話したような背景情報を含めた強度3の意見のぶつかり合いというものを想定しています。また、個人の意見から大衆の意見と変化するのもこのあたりであり、PrivateとPublicの境目もまた、この強度3-4のあたりにあると考えています。

個人的には、強度3には個別の事情(前述での背景情報)がたぶんに含まれ、個別の事情が見え隠れしてる間はPrivate、個人の意見であっても、背景情報がクリーンな場合はPublicなものと区別できそうな気がしています。

 

強度4から上は、個人の領域を抜けて他人にも納得感を持って聞いてもらうための主張作りという色が出てくると考えており、クライアントや投資家、論文査読者などが仮想的といえます。この段階で重要なのは、多様なバックグラウンドを持つ人間が等しく合意できる提案にまとめること、つまりいろんな人からの指摘に耐える強度を持つ主張を作り上げることです。

本文のタイトルにもある強度という言葉が一番しっくりくるのがこのプロセスだと思います。

ちなみにこの段階が一番大変で、なぜなら以下のような、どっちにしろ対応に骨が折れる意見が、ごちゃまぜの状態で、たくさん自分のもとに届くからです。

  • 背景情報まで含め正しい指摘 →正しいがゆえに対処が困難
  • 背景情報を混濁した指摘 →相手の人格否定にならないように丁寧な説明・和解が必要

ただ、これらの玉石混交な意見によって、考えというのは研ぎ澄まされていくもので、この強度4を突破した暁には、強度5の状態に到達できると考えています。

 

強度5の考え方というのは、非常にシンプルながら奥深く、関連する質問をしても的確に返されることがほとんどです。というのも、すでにその質問は強度4の段階で対応済だからです。強度3との違いで言えば、ある程度の範囲の人にその考え方が浸透している、その強度5の考え方が秩序として浸透している組織がある(強度3の影響力は個人とその少数の知人)などの影響力の大きさと、あとは考慮済な意見の広さなどがあると思います。

 

もう一つ、最後に気を付けないといけないことは、個人間で強度3や強度5に該当する主張の強さは異なる、ということです。

端的に言えば、教授の強度3の主張は、学生が頑張って高めたはずの強度5の主張よりも強いこともあるし、敏腕経営者の強度3に見える主張は、いっぱしのビジネスパーソンの強度3の主張をはるかに超えるものであるということです。

これは、強度3と強度5の違いの一つでもある、他者からの受容性の高さという点において、分野の経験が深い人物であればあるほど、脳内で強度4の議論を疑似的に繰り返ことが可能で、強度5に近い意見を自分だけでも持てるというロジックで説明できます。

強度4の段階で、こうした考えが深い人物を巻き込めるほどに、強度5としての意見の質は上がり、中途半端な強度4のプロセスでは、造形が深い人の強度3の主張に及ばないときもあることに気をつけましょう。

 

 

さて、締まらない文末となりますが、本投稿で説明したかった文章強度・思考強度の概念は読者の皆様に伝わりましたでしょうか?

そして、勘のいい読者ならお気づきかと思われますが、この投稿自体が私の個人的な主張であり、強度3の意見です(内省が足らないから強度2.5くらいかも 笑)。

本文を読んで、「あなたのこれまでの経験ではそうかもしれないが、私的にはこう違う」という意見大歓迎であり、願わくば背景情報を開示したうえで楽しい議論ができる方、この考え方を強度4にともに載せてくれる方をいつでも募集してますので、気軽にメールなりご飯に誘うなり、アプローチをお待ちしています(笑)。

 

最後まで読んでくださった方はありがとうございました。
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